今日はちょっとアレな話題ですが、
Netflixで配信されているドラマで最近ふと見始めた「やれたかも委員会」。これは漫画でも見たことがあったので、ついつい見始めちゃったんですが、これを見ながらちょっと思ったことを伝えます
自信を取り戻すストーリー
このドラマはオムニバス形式で1話ごとに相談者(ほぼ中年男性)がいるのですが、「やれたかも委員会」という組織を訪れた相談者が、若い頃のあるエピソードを語り、それを委員会がジャッジする物語。
あるエピソードとは「あの時、あの女の子ともしかしたら”やれてた!”かもしれない」というエピソード!
その何とも言えないエピソードを委員会が「やれた!」「やれたとは言えない」というジャッジを下すというもの!
・・いやね。あらすじ書いててもくだらないんですが(笑)僕は好き。
で、これで何を思ったかというと、
最終的に「やれた」というジャッジが出た後の相談者の後悔はあるけど自信を取り戻す!!という場面。
これコーチング的にもすごく大事なところ!!
過去の経験に対する認識から自信は生まれてくる
人生を好きに生きている人、自分が望む生き方を実践している人の共通点として、セルフイメージの基準が高いとう点があります。そしてセルフイメージを支える大事な要素のひとつに『自信』がある。
そして『自信』とはどこから生まれてくるのかというと、それは【過去の経験に対する認識】から生まれてくる。
過去の辛い出来事を乗り越えたという認識
これまで自分が一生懸命やってきたという認識
何かしらの成功をしてきたという認識
いわゆる成功体験っていうものですが、
過去の経験の認識が自信につながっている人は良いのだけど、自信がない人というのはどうなんだろう?
実は自信がない人は、これらの成功体験がないという事でもない。
例えば同じ失敗体験をした人が二人いたとしたら、同じように自信が生まれないのか?というと、決してそうではなく、
ひとりは、その失敗から自信を生み出す
ひとりは、その失敗から自信をなくしてしまう
という事が十分にありえます。
なぜこういう事がありえるのかは「認識の違い」。同じ失敗という「事実」があったとしても、認識はそれぞれ異なってくる。
失敗はしたけど成功の糧として認識した
失敗はしたけど。自分はやりきったと満足と認識した
失敗して自分は能力がないと認識した
失敗して人に迷惑をかけて、自分はダメだと認識した
こんな風に事実は同じかもしれないけど、認識の仕方も異なれば結果も異なる。
だから過去の失敗経験の出来事で自信を無くしていた場合、過去の事実は変える事はできないけど、認識は変える事ができる。
認識が変われば人生が変わる
何度かメルマガでも自己紹介でも書いたことありますが、僕には2度と経験したくない暗黒時代があります。自信だけじゃなく、お金も人も信頼も失い、家族さえも失いかけた経験
その出来事で確かに自信を失ってセルフイメージがボロボロで、何をやってもうまくいかなかった時期があります。でもある時に認識が変わって、そこから徐々に自信が生まれ(回復)て、そこから人生って変わってきた。
それまで
「自分は好きなように生きようとすると失敗する。家族も幸せに出来なかった男だ」
という認識が、
「確かに辛く嘆く日々を過ごしてきた。でも死ななかった。そしていま曲がりなりにも乗り越えて生きている。あの人生の修羅場を乗り越えてきた俺、結構すごいかも」
という認識に変えて徐々に自信を生み出してきたんですが、、、単純でしょ(笑)でも、認識を変えるって結構単純な思い込みなんですよね。
いまは、あの時の経験があったからこそ、いまの自分がある!と自信を持って言えます。
人生の宝を認識しよう
話をドラマに戻すと「やれたかも委員会」の相談者も、これまで「やれなかった!」という事実が自信喪失につながってたけど、
あの時「やれたかもしれない!」と認識したことで自信が生まれた!!という状態に、まさに変化を起こしてます。
ドラマでの名言(?)「やれたかもしれない夜は、人生の宝」
過去の失敗の出来事も認識を変えれば、それが人生の宝となる。
これが今日、僕があなたに伝えたかった言葉です。
ちなみに、いつもこんな事を考えながらドラマを見ているわけではありません(笑)
では!