こんにちは。
先日、ふと居合のことを書いている時に
瞑想という言葉が頭をよぎりましたので、
今日はこのテーマにしてみました。
その前に居合について、
あまり馴染みのない方には
想像がつきにくいかと思いますので、
少しだけ説明します。
居合とは、抜刀術とも呼ばれます。
通常の剣術では、刀を抜いた状態で
チャンチャンバラバラとしますが、
居合は、刀が鞘に入った状態から始まり、
鞘から刀を抜き放つ動作から、
相手の攻撃を受け流したり、一撃で相手を攻撃する
そして納刀までの一連の流れの武術です。
わかりやすく言うと。。。
ルパン三世で五右衛門が斬鉄剣に手をかけて、
スパスパッー!と敵を倒して、
「またつまらぬものを斬ってしまった」と
つぶやきながら斬鉄剣を鞘に納める。
ここまでの流れです^o^
五右衛門は大げさですが・・・^^;
まあ、そういった武術です。
ただ武術と呼ぶには実践的でないと言われたり、
いや、出会い頭は実践的で恐ろしいものだとか議論があったり、
ただ理合(剣術の理屈)を学ぶために生まれたものだとか、
いろんなことが言われています。
まあ、楽しいのでなんでもいいか。
程度に僕は思ってます。
さて、練習するときには剣道のように相手がいる訳ではなく、
基本的に居合刀(刃引きした刀)での型稽古になります。
目の前に相手がいる訳ではないので、
斬りかかってくる相手をイメージして、
相手との間や理合
(こう切ってきたら、こう動くとか、こうすれば斬られても大丈夫な角度だとか)
を頭で考え、それこそ体幹から手足の指の隅々まで意識を巡らし、
黙々と稽古を重ねるのです。
相手の動きをイメージして、自分の体の隅々までを意識上に上げる。
これを繰り返していると、
変な話、自分の体を動かしているのは自分だけど、
それを見ているもう一人の自分がいる感覚に陥るときがあります。
(いや・・・ごめんなさい。滅多にはないですが・・)
瞑想というと、
眼を閉じて集中して、静かに呼吸する・・・
そしてなにかを感じて深くはいる。
というイメージですよね。
内観というと、
なにかを感じ、それをじっくりと
客観的に見つめる。
というものです。
さて、そうなると。
居合の最中も常に一種の内観の状況にあるのではないでしょうか。
前のブログで書いた「ちょっと趣味の話など」で、
心を整えることを書きましたが、
http://ameblo.jp/chiku-kun/entry-12058278501.html
やはりこういった感覚によって、
自分を客観的に見つめ直して、
外から(実際は内ですが)、正しく整えていく
こういう感覚を持って
心が整えられていくのだなと。
なんだか腑におちた気がします。
でも、内観も心を整えるのもいいですが、
それらはその後の行動につながる
準備体操みたいなものだと思っています。
行動に向けて、それらをどう利用するか。
それを今度考えてみようと思います。
最後に、全然関係ないですが、
年に一度、所属の会では神社で奉納演武をするのですが、
本殿での演武を写真にとると、変な玉が写っていることが多いのです。
これ、なんですか?
知っている人がいたら是非。
では、今回もお読みいただきありがとうございました。